歴史考察

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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2015年09月24日

9月24日の記事

(1)享保の改革
蝦夷地 蝦夷の占拠している地方の意で、松前地方を除く北海道・千島・樺太の総称。松前藩の支配だったが、田沼時代より探検・開発が進む。1807年から幕府直轄。

蝦夷地開発計画 工藤平助の『赤蝦夷風説考』に刺激され、田沼意次は1875年調査隊(最上徳内も参加)を派遣、石狩平野の開拓を策したが意次の失脚で進展しなかった。

最上徳内 1754~1836 出羽の生まれ。江戸で本多利明に天文・測量・航海術などを学ぶ。1785年幕府の蝦夷地探検に参加、以後数回北辺を調査した。

近藤重蔵 1771~1728 幕臣。1789年東蝦夷を探検。国後島・択捉島に達し、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建つ。1807年西蝦夷も探検。のち子の罪に縁坐し改易。

藩政改革 江戸中期以降の諸藩の改革。財政再建・新田開発・専売制実施など。封建経済強化と商業資本許容を含むもので、下級武士の登用、雄藩台頭をもたらした。

専売制 諸藩が国産振興と藩財政補強のため、商業利潤を目的に物資の生産販売を独占した制度。薩摩藩の樟脳・砂糖・長州藩の紙・蠟、仙台・加賀藩の塩、米沢藩の織物、松江藩の鉄・朝鮮人参、佐賀藩の陶器などが名高い。

上杉治憲 1751~1722 米沢藩主。号鷹山。殖産興業に努め、特に藩学興譲館を再興、細井平洲を招き藩士・農民の文教強化を盛んにする。
  


Posted by つしま at 14:36 Comments(0)